仕事行きたくない病への内観記録

ワタクシ
ワタクシ

あぁあー・・・仕事行きたくないー!!!!!

社会人の人なら、出勤前にこんな感覚になることありますよね。。。

私も、仕事行きたくないモードになる事ほんとに多くて・・・。
昔はそれでもなんとか行けてたんだけどここ2-3年くらいはこの感情が激しくなってきて、この感情が来る度に、感情を感じ切ることをしてみたり、内観してみたりと向き合ってきてるつもりなのですが、またしばらくすると「仕事行きたくない病」が発症するんです(泣

そんな感じで、昨日も久しぶりにこの病が発症して、内観していった結果、この感情の発生源に気づいてめちゃくちゃスッキリしたのでブログに記しておきます。

仕事いきたくない病の歴史

私の「行きたくない病」との付き合いは、めちゃくちゃ長い・・・。

思い返してみると、最初の記憶は幼稚園だ。

はるか昔の記憶だけど、幼稚園に行きたくなくて、行かなきゃダメだという母と、よく絶叫バトルをしていた。
ブチギレた母は、「じゃあ行かなくていい!」と言って幼稚園カバンを庭に投げたりして、さらに泣く。みたいな事もあって、今だから笑える話だ。

でも、なんだかんだで母には逆らえずに結局休まずに行っていたww

そこで「諦める」という事を覚えて

ワタクシ
ワタクシ

泣いてもどうせ行かなきゃいけないなら、あがくのは止めよう

となって、我慢して行く。という選択をとってきた。

幼稚園を卒業して、小学校・中学校・高校・・・と大人になるにつれて「行きたくない病」は発症しなくなっていきました。
とはいえ「行きたくないなぁ・・」という気持ちは、うっすらと常にあったような気もします。

そして、ここ2-3年何故かまた幼稚園時代のような「行きたくない病」が再発してきたのです。

仕事行きたくない理由

話を現在に戻して、昨日の行きたくない病になったとき、「行きたくない」事に理由が無いなあ、って気づいたんです。

今までは「職場のあの人が嫌だ」とか「環境的に」とか、一応理由があったとは思うんだけど、昨日に関しては、仕事自体は別にそんなに大変な事も無いし、「いざ行ってしまえば普通に仕事出来るよなぁ、」と頭では思っていても「絶対嫌だぁあーー行きたくないーー」という感情がデカすぎて身体が動かなくなっていた。

そうなってくると、現実の事象は関係なく、ただ「行きたくない」感情が出てるだけなのか・・・と思えてきて、この感情はどこから来るんだろうと考察してみました。

幼少期の記憶

少し前に、仕事行きたくない病が出てきた時に、この感情の発生源に「父と母」が関係している事に気がついた。

というのも、父はサラリーマンだったけど自律神経系失調症と診断されて、会社を休職している時期が長かった。私が物心ついたときには、わりと家に居た・・・。

その事に対して、母が怒っていた記憶がある。
「会社ズル休みばっかして、家のことも何もやってくれない」
みたいな感じでまだ幼い私に愚痴っていたww

母は、精神的な病に対して理解が少なかったのもあるけど、そもそも父も生活費を入れないとか、謎の粗大ゴミを拾ってきたりして、それが原因でよく喧嘩をする二人ではあった。(10年前くらいに熟年離婚済)
ちなみに父は、副業で、いわゆる土地ころがしやアパート経営的な事もしてたので、お金がなかったわけではないけど、生活費を入れてくれなかったらしい。
私の記憶でも、父はドケチである。
(幼少期、うちは極貧だと思っていた)

そんな事もあって、私の中で
仕事に行かない人=父=ダメな人=母に嫌われる

という方程式が成り立っていた。

幼少期、
母に嫌われる=死
と、思っていたので、

「仕事ちゃんと行かないと(お父さんみたいになったら)母から嫌われて死ぬ」

というでっかい思い込みが出来上がってしまった事に気づいたのです。

条件付きの愛?

こんな感じで「○○しないと愛されない」というのはただの思い込みであって、源からの愛は、常に注がれている。

という話は、私の大好きなHappyちゃんがいつも言ってくれている話だ。
無条件の愛は、常に注がれている。という大前提。

ならば、「仕事に行かない私」でも愛されてるって事になる。
しかし、私の中の思い込みは「仕事に行かないと愛されなくて死ぬ」だ。
そう思った時、

ワタクシ
ワタクシ

もしかして・・・私の中のワタシは、仕事に行かないという選択肢をあえて取ってみて、それでも愛されるか試しているんではなかろうか・・・。

という考えが頭をよぎった。
ギョッとした。

仕事行かなくても愛される事を証明するには、仕事に行くのを続けている限りは証明出来ないもんね・・・。

 

ワタクシ
ワタクシ

それってめちゃくちゃキモいんですけどー!!!

例えるならば、恋人からの愛を確かめるために、すぐに「別れる」って言うめんどくさい奴と一緒じゃね?!

あーーー、キモすぎるwww

キモすぎる自作自演に気づいてしまった私は、軌道修正の策を考えました。

全肯定を感じたい

この、キモい自作自演は、そもそも不安だからやってしまうわけだよね。。
源からの全肯定が腑に落ちている人なら、こんな不安には陥らないもんな。。

そして、まだ私は、源と母親との混同が起きているんだとも思いました。

なので、一旦落ち着いて

どんな存在でも愛される
お父さんみたいでも大丈夫
お父さんみたいな自分を許す・・・
お父さんに似てる自分を認めて降参する

と、ノートに書いてみた。

そう書いたとき、「お父さんの許せない所ってなんだろう?」と思って、またノートに書いてみた。

お父さんの許せないところ
ケチ・冷酷・家族にも冷たい・自分勝手・片付け出来ない・会話がつまんない・お金に強欲・自己中・・・
そう書いたところで思った・・・。
ワタクシ
ワタクシ

え、ちょっとまて、、、これ全部私に当てはまってるんじゃなかろうか?!

それに気づいて、なんだか笑えてきたwww

 

私、めちゃくちゃお父さんに似てるやん!
そういえば、幼い頃は顔もお父さんに似てて、それを言われるのがものすごく嫌だった事も思い出した。

昔から、容姿も中身もお父さんに似てるって許せなかったんだな。

父に似ている自分を認める

お父さんに似てる自分を、少しだけ認められるようになった自分に気づいた時、父の写真が見たくなった。

父はもう他界しているし、写真も実家に行かなきゃ見られないんだけど、スマホに一枚だけ写真があった気がして探してみた。

その写真がこちら

私が父の元に歩いていく写真だ。
父はほぼ写ってないけど(汗

この写真をみたら、泣けてきた・・・。

自分で言うのもアレですが、すごく良い写真じゃない?w
これ見たら、父からの愛も感じたし、「38歩歩きました」って母が書いたんだけど、38歩数えてくれてたのにも感動したし、今ではほぼ交流のない兄も嬉しそうに見てくれている。

ワタクシ
ワタクシ

これぞ、無条件の愛を受けている瞬間や!!

これぞ、全肯定ってやつ!!

そう思ったら、仕事行く行かないでグチャグチャやってる自分がアホらしく感じてきた。
写真見て、ひたすら泣いたらスッキリもした。

そうしたら

ワタクシ
ワタクシ

仕事、行っても行かなくてもどっちでもいいか・・・

というフラットな気持ちになれました。
いや、もちろん行かないとお金がヤバいから行くか・・・・。

となって、行きたくない病の激しい感情からは解放されて、出勤する事が出来ました。

思い返してみると、幼稚園時代の「行きたくない病」の時から父みたいな部分を愛したい自分の気持ちがあったのかな?と思うと、めちゃくちゃ長い戦いだっったなーとも思う。これで争いに終止符が打たれていたら良いのですが。

これからもきっとまた、行きたくない病が発症する事はあると思うけど、今回は結構自分の中の深い部分まで行けた気がして嬉しかったので、ブログに残しておきます。

そして、私の中のお父さんみたいな部分も愛して認めていきたいなぁ、と改めて思いました。

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